コメモ。

日記。メモ。備忘録。

ブロガーがバイラルメディアで記事を書くメリットは無いに等しい

最近、好きなブロガーさんが何人か「バイラルメディアで記事を書き始めました」みたいな報告をされていて、ちょっと微妙な気分になりました。

活躍の場が広がるのはすばらしいことなのですが、その場所がバイラルメディアかー……みたいな。

なぜモヤっとしたのかというと、バイラルメディアで書くことってブロガーさんに何もメリットがないと思うからです。

 

理由はコンテンツの扱いが軽すぎるから。

バイラルメディアは一日にものすごくたくさんの記事をアップします。PVという点から見るとしかたないことなのですが、そうすると1本の記事の扱いが非常に軽くなります。ブロガーさんがどれだけ気合を入れて書いた記事でも、媒体側からすると別のライターが5分くらいで書いた他の記事と同じ価値しかないですし、すぐに流れて見えなくなってしまいます。消耗品みたいなものです。ものすごくもったいない。

一方で、ブロガーさんを雇えば自分のブログで宣伝してくれるわけですし、それでいて記事単価は他のライターと変わらないわけですから、バイラルメディア側からするとメリットだらけです。

じゃあブロガーとしてはバイラルメディアで書くのに他のメリットを見い出さないといけないわけですが……。

 

「有名な◯◯で書いてます! というステータス」→バイラルメディアのライターであることは自慢にならない

「お金が儲かる」→バイラルメディアの記事単価はアホみたいに安い

 

……ということで、メリットはゼロです。

 

ところで、記事が増えすぎているために一つの記事の価値が落ちていくというのは、何もバイラルメディアに限った話ではなくて、インターネット全体で起きていることではあります。今朝、電車の中で通勤途中に読んだ記事がどのメディアの誰が書いたものかなんて、覚えていませんよね。

そんな中、自分の記事に価値を持たせるためにはどうしたらいいのか。

これはもう、陳腐な言葉になりますが「個性」を出すしかありません。個性とは、書いている人の顔が見えることです。といっても、別に仰々しい主義主張を書く必要もないし、体を張ったネタ記事も必要ありません(それができるなら手っ取り早いのは確かですけど)。普通でいいんです。ありがちな「一度は行ってみたい世界の絶景◯選!」みたいな記事でもいいんです。

個性を出すために重要なのは、それがひとつの媒体に集まっていることだと思うのです。カメラを買った! というだけの記事、世界の絶景を集めただけの記事、アプリの紹介をするだけの記事……それぞれはもしかすると他でもよく見る感じの記事かもしれませんが、それらがひとつの場所に集まることで、書き手の顔が見えてくるわけです。それこそが個性であり、一人で書いているブログだからこそ生まれてくる価値だと思うんですよね。

逆にブログを飛び出してしまったら、記事は記事単体としてしか評価されませんし、ましてやバイラルメディアの中に埋もれたら、記事は単に情報として消耗されてしまいます。読者が「この記事を書いた人、面白いな! 他の記事も読んでみたい」と思ってくれる可能性もゼロではありませんが、そのためにはそれこそ媒体に頼らなくてもいいだけの強烈な個性が必要になります。逆に言えば、それができないと、媒体をまたいで活躍する著名なライターにはなれないわけですが……。

 

もちろん、ブロガーさんがバイラルメディアで書くことにしたのは色々考えての結果だと思いますし、すべてのバイラルメディアがコンテンツを軽く扱っているわけではないかもしれませんが、何となく自分が思ったことを書いてみました。