コメモ。

日記。メモ。備忘録。

ゲームだからこそ、むしろストーリーを楽しみたい

RPGにストーリーは必要ないのでは? という記事を読みました。

dabunmaker.hatenablog.com


日本のRPGがストーリーを重視しているというのは昔から言われていることですね。

じゃあそんなにストーリーを重視するなら映画でも見た方がよくない? という意見を耳にしたこともあります。

でも違うんですよ。映画とRPGはぜんぜん別物なんです。

どんなにストーリー重視のRPGでも、コントローラーを握っているのはやっぱりプレーヤーだし、主人公を動かしているのもプレーヤーなんです。ボタンを押すことで主人公が動くし、物語が進む。自分の意思が介在する。それが重要なんです。

たとえば某超有名なRPGがありまして(ネタバレしないようにタイトルは伏せますが)、主人公が長い物語の後半で自分の正体を知るシーンがあるんですね。田舎から都会に出て憧れの戦士になろうとしたものの、挫折して一兵卒になってしまい、その記憶を封印して他人の人生を自分に置き換えてしまう――というのが真実だったわけです(これだけ書くと頭いっちゃってるヤツですが、もちろん記憶の混濁には他の理由があります)。

この真実にたどりついたとき、主人公はもちろんですが、当時プレーヤーである自分もショックを受けたんですよ。というのも、このゲームでは前半に主人公が過去の自分語りをする場面があり、実際に"過去の主人公"(ニセの記憶)をプレーヤーが操作しているんです。つまり、主人公の記憶はプレーヤーの記憶でもあったからショックが大きかったのです。これは自分でボタンを動かして操作していたからこその体験でした。

PS2以降のFFなんかはこの方向性がひどくなって、「ムービー → ちょっと操作 → ムービー」みたいな展開が当たり前で、もうゲームじゃないじゃんと批判されましたが、プレーヤーの意思が反映できるという意味では僕はゲームと呼んでいいと思っています。ゲームとして面白いかどうかはまた別の話です。アクションゲームでアクションがつまらなかったらクソゲーであるように、ストーリー重視のRPGでストーリーがつまらなかったらクソゲーですよそれは。

初期のムービーゲーの根底には確かに映画へのコンプレックスがあったのかもしれません。でもゲームは映画にはなれなかったし、だからこそ「映画みたいなゲーム」というジャンルになり得たんだろうと思うのです。