コメモ。

日記。メモ。備忘録。

年をとって「一定のまとまった時間」を支払うことへの抵抗感が増してきた

「私が最近テレビをめっきり見なくなった理由」という記事を読みました。

dobonkai.hatenablog.com

こちらの記事では「TVを見なくなった理由」として、「マスを相手にするTVのターゲットに自分が入らなくなった」ことと「番組がお行儀よくなったことでつまらなくなった」ことを挙げています。

僕がTVを見なくなったのは、「番組が長い」ことと「時間が決まっている」ことが原因かなあ。

若い頃はあまり意識していなかったのですが、人間が何かに支払うコストでもっとも貴重なものってお金ではなく「時間」なんですよね。

TV番組を見るためには、基本的に「特定の日時」かつ「一定のまとまった時間」を支払わないといけない。これって、時間の使い方としては、もっとも贅沢です。

たぶん、番組を制作している人たちも、制約の中でおもしろいものを作ろうと努力していると思うんですよ。でも、年をとるにつれて、少なくとも僕は時間を支払うということに対するハードルが、昔よりも上がってしまっています。

これって「番組がおもしろければいい」という単純な問題でもないんですよね。「一定のまとまった時間、拘束される」ということ自体に対する抵抗感なんです。

この「支払うことを躊躇する時間」は、自分の中で年々短くなってきていて、対象となるものにもよりますが、今はもう30分でもけっこう長いと感じます。10~15分なら、まぁいいかな、くらい。だから5分で終わることがわかっている「世界の車窓から」みたいな番組なら、そんなに抵抗はありません。ニュース番組もいつでも見るのをやめられるから大丈夫かな。バラエティはきついですね……1時間見ることを前提に作られているので。

それからもう一つ、「時間を自分でコントロールできない」コンテンツに対しては、仮におもしろさが同じだとしても、時間を支払うハードルがグッと上がります。

TV番組は時間を自分でコントロールできませんが、ゲームや読書やネット閲覧は、自分で時間をコントロールすることができるので、同じ1時間でもあまり苦痛はありません。支払っている時間は同じでも、「コントロールできている感覚があるかどうか」が大事です。

その結果、どうなるかというと、「時間をコントロールできて、なおかつ拘束時間が短いコンテンツ」を細切れにつまみ食いしてしまうんですね。たとえばスマホゲームとか、電子書籍で読む漫画とか。スマホゲームは早ければ1分で一段落するように作られているし、漫画も15分あれば1冊読めますから。

ただ、時間を細切れに使うのは、「時間を支払っている感覚」が麻痺するので、あまり良くないかなと感じています。これはお金と同じですね。5万円一括で払うのは抵抗があるのに、気づいたら500円の課金アイテムをちまちま100個買っていた、というアレです。安い時間の使い方を繰り返して、気づけば大量に消費していたとならないよう気をつけたいものです。